海を渡った先駆者に充実した日本時代から渡米の決断までの話を聞いた。(全2回の第1回/続きは#2へ)
「男の子が泣くんじゃない」と怒られました
――土屋さんは父が地方競馬・浦和競馬の調教師、姉は獣医師でのちに同地で調教師になりました。幼少期から馬が身近だったのでしょうか?
土屋薫氏(以下、土屋) 厩舎で育ったので、八百屋さんの子供が学校から帰ってきたらお店を手伝うのと同じように、朝は通学前に馬の調教を手伝ったり、馬房掃除をやっていました。
――お皿を並べる手伝いをするような感覚で馬に乗っていたんですね。
土屋 小さい時は騎手になりたいと思っていましたし、子供がジョッキーになることは父の夢だったんです。私には姉が2人いて、母が3人目を妊娠した時、父の酒飲み友達が「今度は男の子だ。顔を見れば分かる!」って毎晩のように話していて、生まれてきたのが私でした。だから、小さい時は男の子として育てられて、泣いて帰ってくると「男の子が泣くんじゃない」と怒られました。周りの人からは「僕」と呼ばれて、髪の毛は短く、父とお揃いの服を着ていました。だから、小学校に入るまでは性別が女だって知らなかったんです。
私とお友達になってくれるアメリカ人はいませんか?
――すごい。ある意味、英才教育ですね。その後もずっと競馬と関わりがあったんですか?
土屋 高校生の頃はドラマ『人気家族パートリッジ』や、音楽グループ『オズモンド・ブラザーズ』が流行っていて、「アメリカっていいな」と思いました。それでどうしてもアメリカに行きたくて、高校3年生の時に短期留学しました。
長いので続きはソースで
YAHOO(number) 3/5(日) 17:02
https://news.yahoo.co.jp/articles/e31e8156d7c479e92c4ef26f1bd657b9d40bf70b
安藤勝己の10年以上前ってところか
大井に残っていたら的場と同期ぐらいか
に吹いた
もっと知られたほうがいい
私の人生がガラッと変わるかもしれないと夢を持てる時代だったな80年代くらいまでは
そこを引用するよりこっちだろ、やっぱり雪に埋もれて暮らしてる奴らは根性がネジ曲がっているわけよ
>そのセクハラの直後、「地元の大井に報告します」と伝えると、小さな部屋に閉じ込められて、「些細なことで大騒ぎして、いかに私がお馬鹿か」という説得を一晩中されました。
>金沢競馬場側による一方的な隠ぺい工作で寝させてもらえず、翌日の招待競走にはとても騎乗できる状態じゃないと思い地元に帰りました。
>ところが、被害者であるはずの私が「招待競走に騎乗せず、業務放棄による1カ月の騎乗停止」となったのです。
田原成貴こんな小さかったかな?と思った
脚が長いのか腰が高くて背中丸くして頭が低いイメージ
競馬に興味持った頃には田原ほとんど乗ってなくてあまり見たことないけど
まあ映像荒いし田原がこれ自分だと言ったらみんな信じるわなw

俺が最初にアメリカに行ったのは47年前、1976年だった
腰の頂点が高くてそこから少し頭が低い独特のフォーム
土屋さんのフォームはどちらかといえば武豊の若い頃に近いかな
腰と頭の位置が同じ高さで全体がやや高い
全然知らなかった
これはセクハラ受けますわ
結構すごい経歴だな
すごいやん