4月、暖かな春がやってきた。春といえば、新しい出会いの季節である。寒い季節が終わり、街に繰りだした人びとが新しく交わり、そこで恋がうまれる。それは近年の日本でも、どこにでもある、当たり前の光景だった。この文章を読んでいる皆さんにも、そうした淡い思い出があるかもしれない。
……だが、現代社会の若者たちは、もう恋をしない。
令和4年版の『男女共同参画白書』によれば、20代男性のおよそ7割、女性のおよそ5割が「配偶者・恋人はいない」と回答し、さらに驚くべきことに、20代男性のおよそ4割が「これまでデートした人数」についてゼロと答えた。
この国ではお見合いを利用した結婚がほとんどなくなり、恋愛結婚が基本となっている。そのため、当然ながら恋愛がなくなってしまえばそれに連動する形で婚姻数も減少してしまう。また日本は婚姻関係が出生にも強く結びついている(婚外子がきわめて少ない)ため、婚姻数の減少はそのまま出生数の減少にもダイレクトに影響する。
若者たちは恋愛をしなくなった。恋愛したいとも考えなくなった。
ただしそれは、お金がないからとか、忙しいからとか、そういうことではない。恋愛をすること、あるいはだれかとの恋愛関係が成就する確率を高めようと努力することそれ自体が、とくに男性にとって不道徳的で非倫理的な営みとなってしまっているからだ。
よりわかりやすくいえば、女性との恋愛関係が成就するまでのプロセスに「女の子からキモいと思われるかもしれないアプローチをしなければならない」とか「自分が好意を向けてしまうことで不快感や恐怖感を与えてしまうかもしれない」といった倫理的ジレンマが不可避的に存在しており、いまどきの若い男性はそれに耐えられなくなっているということだ。
女の子にとって「キモい」と感じられるかもしれないふるまいをすること、女の子の意に反してグイグイと押しつけがましく好意をアプローチしなければならないこと――それは現代社会の「女性が日常で味わう小さな被害にもしっかり気を配ろう」という社会的風潮に真っ向から対立する加害的な実践である。そのような行為になんらやましさを感じない、よほど神経の図太い人間でなければ恋愛に踏み出すことができないがんじがらめの状況になってしまっている。
よしんば社会の風潮や自らの良識にあえて逆らって加害的な実践をやりとげたところで、相手との関係が成就するかどうかもわからない。こうしたダブルバインドによる認知的ストレスがある一定のラインを超えたとき、若者たちにとって「恋愛はコスパが悪いからもういいや」となってしまったのである。
不同意性交罪の基準のあいまいさについての懸念に対して、寺田静参議院議員は「後から何か言われたらどうしようという懸念が残るうちは行為に及ばなければいいだけです」とコメントしているが、恋愛関係になって性交することができても、それすら(あとから両者の関係がのちに悪化してしまうなどによって)事後的に「あれはじつは不同意だった」と言われれば極大の法的・社会的リスクになってしまうような状況になれば、いったいだれがそんなハイリスクな営みにコミットするだろうか。男性は性欲でときに損得勘定がわからなくなるといっても、さすがに限度というものがある。
詳しくはこちら(抜粋)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0cf3a1af7b9aacccfcc689b6e5bb9d8e5058cf12?page=1
そういう連中は外に出るからな
女の質が落ちただけや
6割がデート経験あるなら悪く無いと思うけど
多夫多妻制を取り入れるしか無いね
現代人賢くなってしまったな
恋愛の末にこんな事件に巻き込まれた、とか
性被害にあった、とか恋愛を危険視するようなニュースで世の中溢れていて、女側も恋愛というものの取り扱いに悩んでいるのでは?
男の側から来てもらえないと困る、自分ではどうして良いかわからない、どういう恋愛が良いのか教えられていない、という
ホイホイ男がヤる訳ねえだろw
リスクでか過ぎるわ
リンク https://talk.jp/boards/newsplus/1730678131